幼き日の学び

小さなかごに花を入れ

さびしい人にあげたなら

へやにかおり満ちあふれ くらい胸も晴れるでしょう

愛のわざは小さくても 神の御手がはたらいて

悩みの多い世の人を あかるくきよくするでしょう

 

「おはよう」とのあいさつも

こころこめて交わすなら

その一日おたがいに よろこばしく過ごすでしょう

愛のわざは小さくても 神の御手がはたらいて

悩みの多い世の人を あかるくきよくするでしょう

(讃美歌Ⅱ 26)

 

 

わたしの母校(中・高)では創立記念日になると介護施設を訪ね、

入居者の方々に讃美歌を歌い、お花を差し上げることが恒例行事となっています。
(これを母校では「花の日」と呼んでいます。)

ちょうど今頃がその季節。(去年と今年は感染症予防のため中止だそうです)

上記の一節はその花の日に歌う、讃美歌第二編26番の「ちいさなかごに」です。

 

生徒だった頃、この花の日が憂鬱でした。

他の学校は創立記念日ってお休みなんじゃないの?!

なんで老人ホーム行って歌うの?!

初対面のお年寄りの方と何話していいかわからないし!

めんどくさーい!!意味わかんなーい!!

ってな感じです。

ヒドイ話ではありますが、当時13歳〜18歳の生意気盛り(笑)

まだまだ子供だったのです。

 

あれからン十年。

この花の日のことを思い出します。

そして上記の讃美歌も、よく思い出します。

 

 

【愛のわざは小さくても 神の御手が働いて

悩みの多い世の人を あかるくきよくするでしょう】

 

庭に咲いていたお花を摘んでプレゼントした

元気よくおはようの挨拶をした

心を込めてありがとうと言った

ニコニコ笑顔で人と接した

愛を込めていってらっしゃいと見送った

無事に帰ってきて嬉しくておかえりなさいと出迎えた

 

小さな小さな日常の【愛のわざ(業・行い)】であっても

受け取る方はそれがとってもうれしいことは多々あります。

わたしたちはあたりまえのように日々小さな愛のわざを与え、

また受け取っています。

そしてその愛のわざをたくさん見つけられると

毎日たくさんの幸せを実感します。

 

そこに神の御手が働いたと思うか、愛の波動だと思うか、

天照大神なのかアラーなのか、ガネーシャなのか、はたまた何でもないと思うのか。

それは人それぞれの価値観や解釈でいいと思います。

でもそうやって何か行動を起こして誰かの心にちょっとした明かりを灯せたならば

それがまたよろこびとなってわたしたちに返ってくる。

 

文句ばかり言っていた『あの頃』から少し大人になったわたしは

この讃美歌のように愛のわざを行う生き方を選択しようと思います。

幼き日の学びは

それが出来るようになった頃を見計らって

ある時ふと記憶に蘇るのかもしれません。

今までの学びや経験がパズルのピースのようにカチッとはまって

腑に落ちるこの感覚。

その土台を作ってくれていた母校に改めて感謝です。

 

ではまた来週日曜日にお会いしましょう。

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