幸せの暦学「節分と立春、土用の話」

令和3年も明けて早1ヶ月が経とうとしています。
朝明るくなるのも早くなり、日の長さを少しずつ実感できる今日この頃ですね。

昨年、突如世界中を襲った新型コロナウィルス。
WHOが「国際的な緊急事態」を宣言したのが、ちょうど今頃、昨年の1月30日でした。
1年間私たちはこのコロナと戦い続けてきたわけですが、いまだに収束の兆しが見えて来ません。
ニュースを見ても、連日「過去最高の感染者数」とか「医療崩壊」、「閉店や失業」といった悲観的で暗い話題ばかりです。

ところがそんなこととは全く関係なく、自然界は淡々と進んで行きます。
冬の後には春が来る…
不思議なことに、もうじき暖かい芽吹きの季節がやって来てくれるんですね。

今年のカレンダーを見て、「おや?」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
節分が、今年令和3年(2021年)は「2月3日」ではなく「2月2日」で、立春は「2月3日」なんです。
「福は~内、鬼は~外♪」と、豆まきは2月3日にやるもんだと、頭にインプットされている方も多いのではないでしょうか?今年の豆まきは2月2日ですので、お間違いなく!

しかし、そう思うのも無理はありません。なにせ節分が「2月3日」でないのは、昭和59年(1984年)の2月4日以来37年ぶり、「2月2日」になるのは何と明治30年(1897年)以来、実に124年ぶりのことなんです。

そこで、今回はこの「節分」や「立春」と、ポイントとなる「土用」についてもお話ししてみたいと思います。

季節を分ける「節分」と、その間を埋める「土用」

『節分』はその名の通り「季節を分ける」という意味の雑節で、本来は各季節の始まりである「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日を指します。
つまり『節分』は本来1年に4回あることになります。

ここで登場するのが『土用』。
『土用』と聞いて皆さんがイメージされるのが「土用の丑の日」ではないでしょうか。
真夏の暑い時期に鰻を食べて精力をつけようという日ですね。

実はこの『土用』も1年に4回あるんです。

1年を約360日とすると、春夏秋冬の四季はそれぞれ約90日ずつになります。
この約90日ずつの四季の変わり目の18日間のことを『土用』と言います。
以下の図のように、『土用』も1年に4回巡ってくることがわかります。


90日のうち、この土用の期間の18日を差し引くと一つの季節は正味72日間。
そして、この『土用』も18日×4=72日。ひとつの季節と同じだけあります。
という訳で、後述しますが、1年360日を5等分したひとつが『土用』になります。

『節分』は、各季節の始まりである「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日であると同時に、この『土用』の最終日を指しています。

そして「丑の日」は、土用の期間内に十二支が「丑」の日に当たる日を「土用の丑の日」と呼びます。
この18日間の間に「丑の日」が2回巡ってくる年は鰻屋さんが喜ぶわけですね。
「土用」が年に4回あるように「土用の丑の日」も夏場だけではありません。平均すると年に「6.09日」あるそうです。
でも、そもそもなぜ「鰻」を食べるのでしょうか?

「土用の丑の日」に鰻を食べる理由

陰陽五行には、相対する相手を打ち滅ぼして行く「相剋そうこく」という概念があります。
この「相剋」は十二支にもあり、図のように対角線上にある干支同士が相剋関係になります。
暑気の強まる旧暦の6月の干支は「ひつじ」。その対角線上にあるのが「うし」になります。
「未」の月を、相対関係にある「丑(牛)」を食べて打ち剋とう!というのが「土用の丑の日」の由来です。
ではなぜ牛ではなく鰻なのか…それには諸説あります。

冬に脂がのって美味しい鰻を夏でも売りたいと鰻屋が江戸時代の本草学であり地質学者、発明家としても有名だった平賀源内ひらがげんないに相談し、「丑の日だから『う』のつくものを食べると縁起がいい」と言ったことに由来する販売戦略説や、江戸時代には牛を食べることが禁止されていて、その代わりに夏の炎熱を水気の象徴の「鰻」を食べるようになったという説などがあります。

ちなみに今年の冬の土用の丑の日は、1月17日(日)と1月29日(金)。本来、寒さで脂が乗るこの時期が一番美味しい「鰻」をいただくのもいいかもしれませんね。

「土」の役割

ここで『土用』についての余談を少し…。
「土用」もまた、陰陽五行から来ています。

陰陽五行では、この宇宙、いや見えない世界も含めた万物のすべては「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素からなると考えています。そしてこの5つの要素が、互いに影響を与え合いながら、栄枯盛衰えいこせいすいを繰り返しバランスを保ちながら自然界全てが成り立っていると考えています。
そして四季にもこの5つの要素が当てはめられており、春は「木」、夏は「火」、秋は「金」、冬は「水」となります。そして「土」は、その間を埋める季節の変わり目「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前18日間に当てはめ、「土用」と呼ぶようになりました。

もともと「土」には「異なるもの同士の接点」という意味があり、その間の隙間を埋めて「平らにし、安定を維持する」という意味があります。
そして、土には「育む力」と同時に「腐らせる力」も併せ持っています。
つまり、この土用の18日間は、この「土」の持つ力によって、過ぎ去るべき季節を殺し、来るべき季節を育成する非常に重要な期間なんですね。

節分と立春

だいぶ話が横道に逸れてしまいました。ここで話を「節分」に戻しましょう。

365日とされている1年ですが、実際には地球は太陽の周りを365.2422日かけて1周しています。
つまり1年に0.2422日=およそ6時間ずつ差が生まれ、
同じある地点を通過するのが6時間ほど遅くなっていくわけです。
これを解消するのが、閏年うるうどしで、4年に一度、1日増やすことによってほぼ元に戻すことができるわけです。

太陽と地球の角度が315°の位置

『立春』は、太陽の周りを回る地球が、軌道上のどの地点をいつ通過するかで決まります。
その「立春とされる地点」というのは、太陽と地球の角度が315°になる地点のことで、ここを通過する日を「立春」と定めています。

※太陽の角度は、「立春」を起点の0°として、「夏至」が90°、「秋分」が180°、「冬至」が270°と90°ずつ移動しています。さらに細かく15°ずつ24の節気に分けたものを「二十四節気」と呼びます。
そのため、本来その年により立春の日にちが変わることがあるのですが、1985年以来昨年までずっと2月4日でした。

1分差で早まった立春

それが今年はこの「立春とされる地点」を「2月3日の23時59分」に通過することになり、1分の差で、『立春』が2月3日、『節分』が2月2日になるというわけです。
そして、これまで2月3日は節分が当たり前でしたが、2057年以降はその割合が変わり、2月2日の方が当たり前の時代になるようです。

豆まきと恵方巻

重要な節気である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のいわゆる「四立しりゅう」。その中でも特に「立春」は、冬から春になる時期を1年の境目と考え、新年を迎えるのと同じくらい大事な日として特に重要視されてきました。
そして、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、1,300年もの昔から、豆(魔滅)をまいて鬼を追い払う行事として庶民にも定着していきました。

また、最近では豆まきと並んで節分の日の代名詞となった「恵方巻」。
恵方巻きの「恵方」とは、その年の福を司る神様、歳徳神(としとくじん)のいる方角のことを言います。
恵方巻きの起源は諸説あり、江戸時代から明治時代にかけて、大阪の花街で商人が芸遊びをしながら商売繁盛を願って食べたのが始まりという説がよく知られています。
そのころは「恵方巻」という名前ではなく「太巻寿司」や「丸かぶり寿司」と呼ばれていたとのこと。

商売繁盛を願って食べたのが始まりの恵方巻きですが、恵方を向いて一本まるごと食べることで、無病息災や商売繁昌の運を“一気に頂く”ということ意味しているようで、途中で止めると「運を逃す」とも言われています。

2021年の恵方は「南南東のやや南」…だそうです。
どうぞ皆さん、健康で幸せを願う習慣で、恵方巻をノドに詰まらせたりしないようご注意を!

最後に、立春の日の午前中、書いて部屋に貼ったり、財布に入れておくといいと言われているある“おまじない”をご紹介しましょう。

【立春大吉日 喼急如律令】

この言葉はまず、「立春大吉」は縦書きにすると左右対称になることから、縁起が良く、邪気を追い払い一年間災難に遭わないというおまじないになります。これに中国漢代の公文書の末尾に呪文のように書き添えられた「喼急如律令」の語を加え、「季節の変わり目であり、一年の始まりのめでたい日の立春に、厄災は立ち去り、願いが早急にかないますように」という意味になります。
私は毎年このおまじないを筆で書き、部屋に貼っています。

『立春』は本当の意味で1年の始まりの日です。
陰極まれば陽となす…暗ければ暗いほど、その次は眩しいほど明るく感じられるものです。

この立春を機に、世界から「コロナ」という災いが立ち去り、1日も早く穏やかな日常が戻りますように...。

皆さんもこのおまじないを書いて部屋に貼り、明るく暖かい春をお迎え下さい。

コラム執筆者 Contributors

一面 俊明 Toshiaki Ichimen

一般社団法人 ISD個性心理学協会  初代会長

1959年5月8日東京に生まれる。
1982年3月 早稲田大学政治経済学部を卒業。
1995年に『ISD個性心理学』の前身である「個性学」に出会い、立ち上げチームの一員としてこの学問の普及に尽力。
2003年2月 『ISD個性心理學協会』を設立以降は同協会会長に就任。
現在はISD個性心理学協会の会長を勇退し、企業のコンサルティング活動や講演活動で全国を飛び回っている。

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