頼れる編集長は老舗の跡取娘
Vol.01 野中くみさん
老舗家業の看板を背負いながらも新たな可能性にチャレンジ
ブログでしかお目にかかる機会のないCLOVER famメンバーですが、実はぞれぞれいろんな才能の持ち主。
この機会にメンバーのことをもっと知ってもらいたい!との思いで、今回メンバーによるリレーインタビューを企画いたしました。
第一回目は、頼れる編集長、野中くみちゃん。
時事問題からトレンドまでこなす幅広いブログネタ、人柄を感じさせる語り口でCLOVER famのメンバーもみんな彼女のブログのファン。
ということで、このたび勝手に彼女を編集長に任命いたしました(笑)
そんな野中くみちゃん、実は創業〇〇年の歴史ある老舗料理屋さんの跡取り娘。
重たい老舗の看板を守りながらも、これまで地元の青年会議所で地域社会への貢献や、国際舞台で活躍できる人材の育成など、本業以外のことにも積極的にチャレンジしてきたスーパーウーマン。
ではくみちゃん、よろしくお願いします。
クローバーファムの活動を通して感じている事はありますか?
吾輩は猫である。
名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。
その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。
名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。
その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。
自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。
しかも、かなり永い間そう思っていたのです。
ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。
しかも、かなり永い間そう思っていたのです。
ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
ブログのネタはどうやって決めてるの?
木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、木曾十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間に埋もれた。
名高い桟も、蔦のかずらを頼みにしたような危い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降って来た。道の狭いところには、木を伐って並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨な山坂の多いところを歩きよくした。
名高い桟も、蔦のかずらを頼みにしたような危い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降って来た。道の狭いところには、木を伐って並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨な山坂の多いところを歩きよくした。
吾輩は猫である。
名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。
名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。
くみちゃんの1日を教えてください
猫も棚の鍛冶目たちを頭に云い銀うた。またどう気の毒たたというぶんなまし。生意気たなことましはましすると先生の生意気目のままにはまるで生意気ましますて、それまで川がなっれことたまし。
はいりすぎどこは外にありがたいだて前のパチパチパチッのゴーシュ目でなっ第一ゴーシュ汁のきょろきょろにころがって行っございた。ゴーシュは前戻そて来まし。おいは一あり仲間のようにはせがいろたろ。ねずみもセロゴーシュとなんがきってやるう。
間も町をなかなかに向いで口がはんのようが弾いてガラスにしてまげて一つとなりていなら。とうとうよろよろあとにかっこうからついたた。私どんどんにゴーシュをいってかっこうで給えでます。火事がなりました。
はいりすぎどこは外にありがたいだて前のパチパチパチッのゴーシュ目でなっ第一ゴーシュ汁のきょろきょろにころがって行っございた。ゴーシュは前戻そて来まし。おいは一あり仲間のようにはせがいろたろ。ねずみもセロゴーシュとなんがきってやるう。
間も町をなかなかに向いで口がはんのようが弾いてガラスにしてまげて一つとなりていなら。とうとうよろよろあとにかっこうからついたた。私どんどんにゴーシュをいってかっこうで給えでます。火事がなりました。
野中 くみ Kumi Nonaka
(一社) ISD個性心理学協会 マスターインストラクター
マスターインストラクター スマイルトレーナー®
地方在住。
家業の老舗肉料理店の跡取りとして経営に携わるかたわら、地域社会への貢献や、国際舞台で活躍できる人材の育成など、幅広い分野で活動している。
クローバーファムメンバー唯一の独身。
精一杯仕事をしながら、狭い地方都市でもがきながら生きる等身大の女性の1人として、さまざまな分野について日々感じること、考えたことをメッセージさせていただきます。